利ちゃんの近頃思うこと、考えること




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2005年12月 ビデオチャット


 毎年1月1日は兄弟家族が実家に集まり、水戸にいる母を呼んで母の誕生日を兼ねた新年会をやっている。 ところが今年は母の体力が衰え東京の実家まで連れてくることが出来ない。 そこで、水戸と東京をインターネットで結び、リアルタイムのビデオ会議ならぬ ビデオ宴会を行うことにした。

ビデオチャットをするには高速回線が必要だ。東京の自宅にはADSL回線が来ているので良いが、 問題は水戸側だ。無線高速LANの入っているレストランを探したが、まだ無線LANを導入しているレストランは少ない。 しかも無線LANは数種類あり、その中でNTTが運営するHotSpotかメルコが運営するFreeSpotでなければならない。

水戸の会場を探しながらテストを行った。いろいろテストを行ったところ画像はきれいに写るが、水戸側で使うノートPC からの音声が聞こえない。調査の結果PCのスペックが低いことがわかり、 早速ハイスペックのノートPCを購入することにした。

水戸側のレストランは水戸駅前京成ホテル1Fのイタリアンレストラン「ディ・スカーロ アルトリ」を見つけた。 おまけに個室も貸してくれることになった。


2005年11月 天気予報


 末っ子の息子はバイクで大学に通っている。バイクで20分くらいだが、電車だと1時間くらいかかる。 先日、寝坊した息子が起きた時に雨が降っていた。電車で行くなら、10分後には家を出なければならない。 バイクで行くなら、まだ30分以上の余裕がある。 そこで気象庁のHPにある、 「レーダー・降水ナウキャスト」を見た。

このHPは日本全国各地の雨雲の様子を見ることが出来るばかりでなく、シュミレーションが出来る。 そこで、1時間後の雨雲の様子をシュミレーションしてみた。

10分毎の画像によると20分後には雨雲は横浜上空から外れることが分かった。 本当にそうなるか外を見ているとなんと本当にその時刻に雨が止んだのだ。 世の中も便利になったと感心するやら驚くやら。


2005年9月 外壁・屋根塗装


pic2012_7  家を新築して早いもので、13年が経過した。北側の外壁や屋根には所々苔が付着し 気になる。防水が落ちた証拠であり、そろそろペンキを塗り替える時期だ。

毎年夏は1階はそうでもないのに、2階はとても暑い。太陽の直射日光のせいだ。 スレート瓦の上に積水の軽量瓦を載せようかと考えたが、調べていくうちに遮熱塗料 を塗ると部屋の温度が下がると言うのがわかった。 さらに調べていくと、屋根の温度を下げるには塗装の色が重要らしい。

真夏の屋根表面温度は、60度以上になるが、白の塗装をした場合45度程度に抑えることが出来る。 また、白の場合普通の塗料と遮熱塗料ではさほど温度差がないこともわかった。

次に業者選定だが、これがまた大変だった。 ネットで調べると業者の数は星の数ほどで、見積もりの金額だけで業者は決めてはいけない言われると ますます、どの業者を選べば良いのかわからなくなる。 最終的には、ネット上で見積りをだせ、しかもそれを詳細に提示してくれた ネット業者に決め、 作業は11月7日〜19日に行うことになった。


2005年8月 2005年の夏


 昨年の横浜は真夏日が連続40日間で暑い夏だった。 今年は少しは涼しくなるかと思いきや、やはり夏日が40日間を超えた暑い夏になった。

夫婦ともクーラーがもともと好きでないので、窓を全開にして扇風機を回しているが、汗が止まらない。 でも、これが本来の姿で、夏は暑いものと思えばさほど苦にならない。 家の周りは住宅地で道路からも離れているため、とても静かだ。 特に近所には庭に樹木を植えている家が多いため、セミが来て大合唱だ。

セミは明るくなり始めるとすぐに鳴き出すので朝5時前にははうるさいほどだ。 それでも早朝の静けさの中で聞くせみの声は何とも言えない安らぎを覚える。


2005年7月 老化現象


 昔から体力には余り自信がない。それが26歳からスポーツジムに通い始め54才の今まで づっと続けてきた原動力になっている。

そもそもスポーツジムに通い始めた動機が、しょっちゅう風邪を引くので何とかしたかったからだ。 お蔭様で何とか人並みに生活を送り、ここまでこれたのは運動のおかげだと思っている。

先日3週間ほど旅行に出かけ、約1ヶ月運動を休んでしまった。 久しぶりのトレーニングのため、本当に軽くやったつもりだったのだが、翌日は案の定筋肉痛になった。

ところがいつもと違う筋肉が痛い。口を開いたり閉じたり顎を動かすと左顎の筋肉が痛い。 筋肉痛だと思い2〜3日放ってほけば治ると思った。 ところが2週間たっても良くならない。 たまらず医者へ行った。

診断結果はどうやら顎の筋肉を痛めたようだ。 本人は意識していないのだが、バーベルを持ち上げるときにどうやら歯を食いしばっていたようだ。


2005年5月 義父母の元気に感謝


 家内の両親が旅行に行ったお土産を持って遊びに来た。 甲府から身延線と言う単線に乗り換え1時間15分のところにある 「下部温泉」へ行ってきたそうだ。 自宅のある東京の大井町からは片道4時間くらいかかる。

友人と総勢5人だったそうだが、友人は車なので別々に現地へ行った。 それで2人でリュックを担ぎ各駅停車で行ってきたそうだ。 義父83歳、義母77歳。これには本当に感心した。

義母は2年前(2002年9月)くも膜下出血で倒れたあと 急激に体力が低下し老け込んでしまったが、今ではほぼ もとの状態に戻り元気になった。

両親が寝込んで介護に奔走している人を知っているが本当に大変だ。 家内は一人っ子なので、結婚したときに同居は考えていたが、二人が元気なうちは 同居はしないと言う義父の言葉で現在まで来てしまった。

この分だと同居はいつになるかわからないが、 義父母の元気な姿を見るたびに感謝と同時に、 いつまでも元気でいて欲しいと思う。


2005年4月 資格


 長い間コンピューターの仕事をして来た。 30年だ。 コンピューターのことは一通り分かっているつもりだが、 「ではどのくらい知ってるの?」と聞かれると説明するのがとても難しい。

英会話でも「どのくらい喋れるの?」と聞かれ説明が難しいのと似ている。 資格というものはそのために有るんだと思う。 英会話なら「2級だ」と言えばある程度判断できる。

そこで遅ればせながらコンピューターの資格を取ることにした。 目指すは経済産業省の国家資格「情報処理技術者試験」だ。

この試験は年2回(春・秋)行われ、年間20万人位が受験する 人気試験だ。合格率は25%だから4人に一人だ。

でも年(53歳)をとってからの勉強は若いときに比べると2〜3倍の 時間がかかる。(覚えるのに時間がかかるのだ!) 資格は出来るだけ若いときに取っておくべきだと思った。

結果1回目は不合格になり、2回目にやっと合格した。 勉強を始めてから、取るのに足掛け1年を要した。

勉強していて思ったが、PCが好きだから出来たが、 嫌いだったら絶対に出来ないと思った。

何事もそうだが、この「好き」かどうかが物事を続けられるか どうかの大きな分かれ道だ。


2005年3月 父永眠


父が亡くなった。3月1日の夜に実家で同居している弟から電話があった。 父が浴槽の中で死んでいるという。 電話の声からかなり狼狽している様子が伝わってくる。

仕事から帰ってきて風呂に入ろうとして、浴槽に沈んでいる父を 発見したそうだ。

私の父は81歳だが、昔から元気がとりえの人で、見掛けも若いが 毎年の人間ドック検査でもどこも悪いところは無かった。 亡くなる寸前まで車も運転していた。

それが入浴中に心筋梗塞に突然見舞われ、ほとんど即死状態で亡くなってしまった。

平均寿命を過ぎていることを考えれば、いつ亡くなってもおかしくない年齢だが、 亡くなる直前まで元気だったので驚ろいた。

人間、平均寿命を超えたらいつ亡くなってもおかしくないと言うことを知った。 父が亡くなり、私の中でひとつの時代が終わった。


2005年3月 心に響く歌


 心に響く歌ってありますね。 私の場合は、かつては沢田知可子さんの「会いたい」です。 会社通勤にラジオを聞いていたとき、ラジオから流れてきたこの曲を初めて聴いたとき、涙が止まりませんでした。

もっと昔は海援隊の「母に捧げるバラード」です。 確か受験勉強でラジオを聞いていて流れてきた曲だったと思います。 この時も初めて聞いたとき感動したことを覚えています。

最近ではTVコマーシャルで流れていた曲ですが、 「思い出のアルバム」です。 この曲は知っていましたが、私の記憶から忘れ去られていました。 TVから流れてきた歌を聞き、何か知らないけれど心を揺さぶられました。

後で調べてみたら幼稚園の卒園式に歌う歌だったんですね。 でも歌詞を読んでみれば見るほど自分の幼稚園時代の情景が浮かんでくるんです。

最近ではBIGINが歌っている 「涙そうそう」です。 沖縄の曲は「島歌」 「花」にしても何か心に響くものがありますが、この歌は格別に良いです。

歌手の森山良子さんが、若くして他界した兄を思って書いた詩だそうですが、曲と合っていてとても感動します。


2005年2月 日々これ感謝


 日々の生活の中で感謝することは多い。スーパーマーケットに買物に行き、購入しようとする商品が 極端に安かったりすると企業努力に感謝すると共に生産者は大変だろうなどと思ったりする。

先日も急に下痢を伴う高熱と寒気に見まわれ苦しい思いをしながら医者へ行った。小さな町医者の待合室は 老人で溢れかえっており座る場所も無いほどだ。

高熱と吐き気で気分最悪の中で待つこと1時間。 インフルエンザ検査をするからと呼ばれ鼻に綿棒を突っ込まれ鼻汁を採取された。 これでインフルエンザかどうか分かるらしい。

5分後今度は診察室に呼ばれたときは検査結果が出ており 結果は陰性。つまりインフルエンザではないとの事。結局原因がわからず風邪薬と消化薬をもらい帰宅した。

ところが薬が効いたのか翌日には熱も微熱になり、翌々日の朝には完治していた。 あんなに苦しんだことが嘘のようだ。

薬も日々進化しているだろうし、インフルエンザかどうか一瞬で判る システムも昔は無かった。 これも製薬会社の日々努力の結果だろう。本当にこれ感謝である。


2005年2月 元気のない老人


月に1〜2回訳あって老人ホームに通っている。 私自身ではない。私はまだ53歳だ。

そこで老人を見ていていると、元気で活力にあふれている人と 精気がなくただ残りの人生を生きているような人が見受けられる。 この差は一体何なんだろうと思う。

車椅子の生活になっても明るく前向きに生きている老人がいる一方、 ただ1日が過ぎるのを待っているかのような寂しげな老人がいる。 ボケているとかボケていないとかいった問題ではなく、明らかに本人の生き方の問題のような気がする。

つまり、元気のない老人は生きることを諦めてしまっているのだ。 逆に元気な老人は生きることに喜びを見出し生を全うしようと努力している。

では、元気のない老人に生きることを諦めさせてしまった理由はなんだろう。 人間は体力の衰えと共に気力も衰える。 そう言えば、元気な老人は車椅子でもホームの中を懸命に動き回っていた。

年をとってからいきなり体を動かそうとしても億劫で出来ないと思う。 若い頃から運動を習慣付ける必要がある。 体力があればいつまでも元気な老人でいられると思うのだがいかがだろうか。


2005年1月 親の心、子知らず


子供が皆大きくなってみて思うのですが、親は子供が いくつになっても子どもと思い、世話を焼きたがる傾向が ありますが、それは子供にとってはただ迷惑なだけなの かも知れません。

親は子供が相談してきた時にだけの乗ってあげれば良く、 普段から、相談できるような友好関係を作っておく方が むしろ大切なんじゃないかと思います。

でもついおせっかいで心配性の性格から子供に対し あれやこれやと口を出しては煙たがられてはいます。

親の宿命かもしれませんが、苦労して子供を育てても 子供はあたりまえくらいにしか思っていません。

でもそれは仕方がないことだと思います。 私も結婚し子供を持つまでは親のありがたみなんか 分かりませんでしたから。

子供たちもいつか親のありがたみが分かるときが来ます。 でも、そのときは生きていないかもしれませんが。(笑)

まあ、それでも良いじゃないですか、親も子育ての中で 楽しい思い出を作ってもらったのですから。






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