あるとき、私どものセミナーに参加した三十半ばくらいの女性がいました。
その人は、どちらかと言うとああでもない、こうでもないと文句の多い人でした。
実際、セミナーが終わったあと、よくなかったという人が2%くらい
いるものなのですが、彼女はその中の一人でした。
で、よくなかった、時間の無駄だったと、散々悪態をついて、帰っていきました。
なにしろ、二週間くらいして、やっぱりよくなかったとわざわざ電話をくれるような人でしたから。
その女性から、セミナーが終わってちょうど三週間目に、スタッフのところに電話がかかってきました。
「どうしたんですか?」
「セミナー、良かったと思うようになりました。」
「何がよかったんですか?」
「わたしはあなたもよくご存知のとおり、誰にも愛されていないと言うことに関しては、自信を持って生きてきた人間です。」
「で?」
「それがどうも違ったようなんです。」
「何がどう違ったんですか?」
彼女は、次のような話をしてくれたそうです。
セミナーを終えて少したったころ、いつものように台所に立っていると、三歳になる娘が寄ってきて、
「ねえねえ、おかあさん」
と、エプロンにしがみついてくるんです。
まあ、いつものことですので、台所仕事を続けたまま「何よ」と聞くと、「あたしねえ、いま、あること思ったの。」と言います。
またか、と思い、「セーラームーンのおもちゃは、この間買ってあげたでしょ。
もうだめよ。」とか「おやつの時間はまだでしょう?」とか、適当に答えていました。
すると娘は「そんなんじゃないのよ。あたし、あることを思ったの。当ててよ。」と、
得意そうに言います。
「当ててよ」は、最近娘の十八番なので、少々うんざりして適当にあしらおうとしたんですけど、
あんまりしつこいので、とうとう根負けして、腰を屈めて娘の目の高さになって聞いてあげました。
「なに思ったのよ。」
「あること、思ったの。」
「何思ったの?おかあさん、降参。」
「じゃあ、教えてあげる。あたしね、こう思った。」
「何?」
「おかあさんのこと好き、って思ったの。」
「へー・・・」
「何回、思ったかわかる?」
「え?一回じゃないの?」
「ううん、もっと。」
「じゃあ、三回。」
「ううん、もっと。」
「じゃあ、五回。」
「ううん、十回。あたし、お母さんのこと好きって、十回、思ったの。」
最後のほうで、電話の向こうの彼女の声は、涙ぐんでいました。
その日、その娘の上の、5歳になる娘のあとでお風呂に入ったら、湯気で湿った鏡に、
ハートが書いてあって、その中に、「おかあさん、だいすき」と書かれていたそうです。
伊藤 守 著「こころの対話 25のルール」 より