侍ジャパンをWBC世界一へ導いた栗山英樹監督の著書『栗山ノート』が、さらに追加重版6刷 40,000部が決定!累計100,000部となりました!!
名将はなぜ、常識を覆し感動を呼ぶ采配を振るえるのか――。
14年ぶりの王座奪還を果たしたWBC侍ジャパンの栗山英樹監督には、小学生の頃から書き続けている「野球ノート」がある。
日々の戦績、プレーの細かな振り返りに加え、監督として人間としての“哲学”が書き込まれている。
球界きっての読書家としても知られている栗山監督。ジャンルは、経営者や企業家の言葉にのみならず、小説、古典にまでおよぶ。
そして読んで気になった言葉は、その都度ノートに書きとめ、思いや考えをまとめているのだという。
どのような言葉に刺激を受け、どのような考えのもと、どのように指揮をとってきたのか。
『論語』『書経』『易経』……先人に学び勝敗の理由を考え抜いた先に綴った、組織づくりの要諦。
この門外不出のノートを、書籍としてまとめたものが『栗山ノート』である。
4月18日出来予定、40,000部の大重版決定です!
『栗山ノート』本文抜粋
【本文ダイジェスト1】
それにしても私は、なぜノートを書くのか。
『論語』に「性は相近し、習えば相遠し」との教えがあります。
人の性質は生まれたときにはあまり差はないけれど、その後の習慣や教育によって次第に差が大きくなる、という意味です。
学びには終わりはなく、学び続けなければ成長はありません。
成長とは自分が気持ちよく過ごすため、物欲や支配欲を満たすためなどでなく、自分の周りの人たちの笑顔を少しでも増やせるようにすることだと思うのです。
その日の試合や人との触れ合いから何を感じ、どんな行動を取ったのか。
それは、私たちの道しるべとなる先人たちの言葉に沿うものなのか。
1日だけでなく2日、3日、10日と反省を積み重ねることで、自分を成長させていきたい。
私は弱い人間です。子どものころは次男坊のわがまま少年で、野球を始めたのは「我慢を覚えさせるためだった」と父に言われました。
大人になったいまも、「今日はこれができなかったから、明日はこうしよう」と心に留めておくだけでは実行に移せません。
忙しいとか時間がないといったことを言い訳にして、つい自分を甘やかしてしまう。
そうならないために、ノートに書いて一日を振り返り、読み返してまた反省をするようにしています。
ノートに自分の思いを書く行為は、周りの人たちとどのように接したのかを客観視することになります。
【本文ダイジェスト2】
監督として、仲間として、人間として、チーム内でどのように振る舞えばいいのか。
野球ノートをつけることと、読書の旅を並行していくと、野球を野球の常識だけで読み解くべきではない、という思いに辿り着きました。
プロ野球は、国内最高峰の選手たちがしのぎを削る舞台です。
一人ひとりの技術の高さ、チームとして練り上げられた戦術や戦略は、勝敗を左右する重要なファクターとなります。
ただ、プレーをするのは選手、すなわち人間です。
監督以下スタッフと選手たちが同じベクトルのもとで心をひとつにして、共通の目標へ突き進んでいくことが何よりも重要です。
プロ野球チームとしてのレベルを上げていくのと同時に、無言の紐帯とも言うべき心の絆で結ばれた集団を作り上げる。
選手の心を動かし、まとめ上げていくことに精魂を極めるのが、私の仕事だと感じています。
【本文ダイジェスト3】
『論語』に「君子は諸れを己に求め、小人は諸れを人に求む」というものがあります。
人の役に立つような行ないをする人は、成すべきことの責任は自分にあると考える。
一方、自分本位の考えを持つ人は、責任を他人に押し付ける、といった解釈が当てはまるでしょうか。
敗戦を選手に押し付けない。ミスを選手の責任にしない。
監督就任から行動規範としてきたことですが、この『論語』の言葉を読み返したときに、自分への疑問が湧き起こりました。
お前は本当に選手を信じているのか? 選手に勝利の喜びを味わってもらいたいのか?
【本文ダイジェスト4】
試合内容は決して悪くなかったけれど、結果はついてこなかったという試合後、選手たちには「いいからすべて忘れよう」とか
「明日からの試合に、今日の負けを生かせ」と声をかけます。
「切り替えも大事だ、もうスッキリ忘れろ」と話したりもしますが、監督は切り替えなくていい。
悔しいなら悔しいままでいい、というのが私のスタンスです。
「この内容で負けるならしょうがない」ではなく、「この内容なのにどうして勝てないのだ?」という方向で、試合を振り返ったほうがいい気がします。
それこそ「霜を踏みて堅氷至る」の考えかたで、「まあ、いいか」とするのではなく改善の兆しを察知したい。
「これぐらいなら、まあいいか」という思考は、私たちの生活にプラスをもたらしません。
「まあ、いいか」を繰り返していくと「良くないこと」に疑いを持たなくなり、やがては「まあ、いいか」が習慣化されてしまいます。
【本文ダイジェスト5】
「強さ」は「脆さ」と背中合わせです。
たとえば、ガラスはある一定の強度を持っていますが、それを超える力が加わると割れてしまう。
他方、スポンジやゴムは強度こそ低いものの、押しつぶされても形を取り戻す。
気持ちを張り詰めてばかりいると、どこかで折れてしまうものです。そして、折れたあとの再生はとても難しい。
組織に当てはめて考えれば、過度の緊張状態が解けたあとのリバウンドは激しい。
「強くなりすぎれば必ず折れる」という言葉は、「折れる前に緩めておくべきだ」ということかもしれません。
【本文ダイジェスト6】
ひとつの状況でも攻めかた、守りかたは何通りもあります。
あらかじめ答えは分からない。結果が正解になる。
だから野球は面白いし、難しい。僕にできるのは「野球には答えがない」という前提に立って、知識に寄りかからないことです。
答えがあると決めつけると、コーチ陣の声に耳を貸さなくなってしまいます。
「この場面はこうだな」と僕が方針を固めていたら、コーチが「こうじゃないですか」と言ってくれても
「そうか、そういうやりかたもあるな」とは考えない。聞いているふりをしているだけで、単線的なロジックに陥ります。議論になりません。
人間は話したがりだと思います。物静かなタイプの人だって、自分の意見を聞いてほしいものでしょう。
人の話を聞くことは、気づきにつながる。頭のなかに浮かんでいた疑問符が、誰かの助言によって感嘆符に変わることがあります。
「自ら気づき、自ら克服した事柄のみが真に自己の力となる」わけですが、周囲の意見を取り入れることは否定されるものではないでしょう。
【著者プロフィール】
栗山英樹(くりやま・ひでき)
1961年生まれ。東京都出身。創価高校、東京学芸大学を経て、1984年にドラフト外で内野手としてヤクルト・スワローズに入団。
1年目で1軍デビューを果たす。俊足巧打の外野手で、89年にはゴールデングラブ賞を獲得。
1990年のシーズン終了後、怪我や病気が重なり引退。
引退後は解説者、スポーツジャーナリストとして野球のみならずスポーツ全般の魅力を伝えると同時に、白鴎大学の教授として教鞭を執るなど多岐にわたって活躍。
2011年11月、北海道日本ハムファイターズの監督に就任。同年、監督1年目でパ・リーグ制覇。
2016年には2度目のリーグ制覇、そして日本一に輝き、正力松太郎賞を受賞。
2019年時点の監督で最長の就任8年目を迎え、同年5月、監督として球団歴代2位の通算527勝を達成。
2021年、北海道日本ハムファイターズ監督を退任。
2022年、侍ジャパン監督に就任。