前立腺がん 闘病記


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★日本将棋連盟会長で元名人の米長邦雄(よねなが・くにお)さんが2012年12月18日午前7時18分、前立腺がんのため東京都内の病院で死去した。 69歳だった。 米長さんは生前 癌ノートをブログとして残してあり、それを見ると一般に前立腺がんは進行が遅いがんと言われるが、 米長さんの場合、2007年3月に4.4だったPSA値が 2007年9月に5.08、2008年3月には7.26と急上昇する。 それで、生検を受ける。

結果は12本のうち4本にがんが見つかった。 小腺源療法を受けようとするが、初期の段階を脱しており 医師からは全摘手術を勧められる。

米長さんは、全摘をすると性機能が温存されないことを嫌い 放射線治療を選択する。 2008年10月から週3回のペースで合計15回の放射線治療を受けた結果、PSA値は7.58から3ヶ月後には0.294まで下がる。

ところが、9ヶ月後の2009年9月には0.93と上昇する。 その後のPSA値推移については記録がないため不明だが、 さらに8ヶ月後の2010年5月には射精後に 鮮血がポタポタと滴り落ちたという記載があるので 恐らくがんは進行していたと想像される。

ブログはそこで終っていて、その後の状況はわからない。

もし、米長さんが放射線治療ではなく全摘手術を受けていたら 死なずに済んだのではないかと思ったりするが、 はっきりとしたことはわからない。

★天皇陛下は2003年1月に前立腺がんの 全摘出手術を東大病院で受けられている。 手術後に摘出した前立腺を入念に調べた結果、医師団は がんの転移はないと発表した。

ところが、5ヶ月後には残っていた 前立腺がんが再発し、ホルモン療法を開始している。 不思議に思うのは、天皇陛下は定期的にPSA検査を実施していると思うし、従って癌が発見されたのも初期の段階だと思う。 それならば、前立腺を全摘出したにも関わらず、何故、再発したのだろうか。

しかも、天皇陛下を担当するチームは日本で最高の医師団だと思うし、判断を間違えることはあり得ないと思うのだ。 このため、ホルモン療法を開始した陛下は 後遺症で苦しんでおられるようだ。

★三波春夫さんの歌が好きで、CDを聴いたり YouTubeで動画を見たりしているが、 三波さんは1994年(平成6年)1月、検診で前立腺がんが発見され、手術はせず薬物治療を受けたが、2001年(平成13年)4月に 享年77歳で亡くなられている。

三波さんが最後にレコーディング(1997年)した曲 「明日咲くつぼみに」は三波さんが永六輔さんに頼んで作詞して貰ったものだが、 実は永六輔さんは三波春夫さんが前立腺がんだということは知らなかった。 もし、知っていたらこんな詩は書かなかったというエピソードが残っている。






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